体力づくりのためにウォーキングを始めました。初日以外は日差しも気温もマイルドなのでなんとか続けられています。これからまた暑くなってきたらどうなるかな。Waveboxもぽちぽちありがとうございます!
進撃とかまほやくについて考えたことをぼんやりまとめてみようかなの日記。
///

描いた絵を加工するのが好きでたまに遊んでいます。元絵はクリスタルの中にいるアニの絵です。
連載当時の話ですが、私はアニが冷酷な殺人鬼として扱われるのも嫌で、かといって普通の女の子として扱われるのも嫌でした。人間にはいろんな面があるのに、一方向からしか見られないのはなんだか嫌だなという思いでこの絵を描いた気がします。ちょうどアニにはクリスタルというモチーフがあったこともあり、結晶にいろんな面があるように、プリズムが光を分散させるように、アニの多面性を表現しました。できているかはともかく…。人間は多面体だから、優しかったりずるかったり、たまに化物が覗いたりもする。
///
まほやく2部19章を読んで、北の国で生まれて南の国で生きるフィガロを肯定してくれてすごく嬉しかったんですよね。気高い北の魔法使いで優しい南の魔法使い、どちらも本当のフィガロだから、どちらも否定されないのが本当によかった。フィガロの心はフィガロ自身もわからないままずっとそこにあって、でもそれがフィガロを突き動かしてやっと自分を知れたというのが…。それも、ずっと考えるのをやめず求めることを諦めなかったからだから、本当にガッツのある人だなぁ…。まったく正反対のことを言われたりもするけれど、諦め悪く情が深いのも本当だよね。フィガロの中にずっとあったもの、南の精霊がフィガロを選んだのもそりゃそうだよね。
フィガロの心はずっと変わらずにあることは本編にも書かれた通りで、じゃあ変わったとしたら何なのかというと、内側にあるものをどう表現するかなのかなと思います。どなたかがおっしゃっていたけれど、一年目の七夕ボイスの「コスパ」の中身が今年の七夕ボイスで言っていること、というのが個人的にはしっくりきました。人との関わりや繋がりの中で、フィガロの中にあるものをだんだん表現できるようになってきたんじゃないかな。そういう変化が外から見ると人が変わったように見えるのかもしれない。
人が変わったといえば、シャイロックはムルを変えてしまったと苦しんでいるけれど、シャイロックはムルのすべてを、そしてムルはムルのすべてを本当にわかっているのかな。自分のこと相手のことすべて理解できているなんてことはなくて、もっとよくわからないものが人を動かしているんじゃないかなと思います。飛行士のバラッドでシャイロックを助けたムルをシャイロックは否定したけれど、そういうムルの一面だってもともとあったんじゃないかな。欠片のムルが軽蔑されたくないと思ったように、大切な人に傷ついてほしくないと思うムルはきっといたと思う。自分を好きだと言ってほしいムルも。冷たい瞳のムルなら違うかもしれないけれど。でも、欠片じゃない、欠片が集まった多面体である人間ならば、ある一面をまた違う一面が覆い隠すなんて普通にあることだし。相反する面がせめぎあいながら、自分でもわからないでずっとそこにあったものが、その人を形作っていくんじゃないかなどと考えたのでした。
多面体の人間に偽物も本物もなくて、いろんな面に反射した光をただ見ているだけなんだと、19章ではこの二組が語っていたような気がします。同時に描かれたのが場面によっていろんな顔を使い分けるフィガロと欠片ごとに違う顔を見せるムルだったので、より味わい深くなっていたのではないかな。
なんだか全然まとまっていないな。でもそんなことをつらつら考えていました。
///

たまには落書きでも。こんな時代もあったのかしらと考えながら描きました。う~ん、やはり私はくせっ毛が好きなんだな。