
ベルトルトくん、今年もお誕生日おめでとう。
ちょっと今年はFGOが終わりを迎えたということで、それと絡めて話をしたいと思います。FGOを語ることでどうしてベルトルトくんが好きなのか、などわかってもらえたらいいかなと。はたして説明になるのかまとまりのない文章になるだろうし完全にネタバレです。
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ずっと追ってきたFGOが昨日終わりました。プレイしてる最中は涙ぐむくらいだったけど、今これを打ちながら号泣しています。
なんでかわからないけど涙が出てきて考えもまとまらないけど、何かを残したい気持ちでこれを打っています。
まず、FGOが人間の善性を信じる物語でよかった。
2部7章で「誰に教わるまでもない、誰に喜ばれる必要もない。人間とは、ただ、善い事をする生き物だ。たとえそれが、冷血な虫の反応に過ぎなくとも。」という言葉があって、FGOではそれが形を変えて何度も表現されてきていて、例えば2部6.5章のドンキホーテのセリフもそうだし、私が思い出せないだけで他にももっとあると思う。
それが物語の骨子としてずっとあって、私も人間は善い事をする生き物だと信じたかった。悪事をなすことがあったとしても本質はそういうものなんだって思いたかった。
そう思ってきて、本当の最後の最後にデイビットに「父さんの言葉を守ってくれてありがとう」と言ってもらえて、その言葉を本当にできたことが嬉しかった。
これはLB4のレイド戦シナリオでインドラが神たるアルジュナに対して言ってくれたこととも繋がってると思う。
ここでLB4の話をすると、私はLB4をプレイしている最中ずっとベルトルトのことが浮かんでいたんですよね。主人公たちの敵として現れる神たるアルジュナには徹底して対話がなされず、理解もされなかった。
彼は地獄のような世界を変えたかった。善き人々を愛していた。だから神さまになった。でも彼の真意や動機は憶測だけで語られ、結局主人公たちは彼のことを何も知ることなく殺した。
その不理解は主人公たちだけではなくて、プレイヤーもそうだった。その構図が別マガ本誌を追っていた時のシガンシナ戦と重なって、私はシナリオをプレイしながら本当にこれでいいの?本当に?と戸惑いを持った。
それまで私のカルデアにはアルジュナがいなかったので、それまでのシナリオやイベントでのアルジュナを見て「すごく真面目なんだろうな」というくらいの印象しかなかった。
シナリオを終えて呆然としながらガチャを引いて来てくれたアルジュナオルタを育てて、星5交換券で来てもらったアルジュナを育てて、彼らのことが大好きになった。そして、本当に「真面目過ぎ」たからこそ神たるアルジュナにまで至ったのだな、とも。
だからこそもっと、他の異聞帯では敵のことも理解しようとしていた主人公たちがあそこまで不理解だったことに違和感を覚えたし、悲しかった。
ここでレイド戦に戻ると、神たるアルジュナに対する理解は父神たるインドラと敵将だったアシュヴァッターマンにされることになる。
地獄のような世界に絶望したアルジュナは、それでも「神は人を救うもの」だと信じていたこと、善き世界を求める根っこには「怒り」があったこと。
インドラお父さんが、神はそんないいもんじゃないとしながらも、息子が信じたことを自分が真にしてやると言ってくれて、アシュヴァッターマンがその怒りに寄り添ってくれて、本当に嬉しかった。
反面、結局主人公と神たるアルジュナは対面することなく話が進んでしまい、またこうなるのか?と正直少しがっかりしていた。
でも。でも。でも。最後の戦いで神たるアルジュナが、彼が守りたかった世界の人たち、アーシャとアジャイさんと一緒に来てくれただけで、もうこれでいいんだって思えた。彼は彼のなすべきこと、善い事を最後までしに来てくれたから、今までのことを納得できた。誰に理解されようがされまいが、彼は自分のなすべきことをし、最後は守りたいもののために力を使えた。
主人公は神たるアルジュナに手を伸ばさなかった。彼らの関係はそういうものだった。そういうお話だった。
これはこの文章を打っている最中に思ったことだけど、天と地の戦いのベルトルトもそうだったなって。あの時、ベルトルトは初めて自分の意志で自分のしたいように大切な仲間を守れたんだな。
なんだか本当にまとまらない。優しい神さまたち。私は彼らの心が、精神が、魂が好きです。涙が止まらないほどに。
神たるアルジュナには手を伸ばさなかった主人公だけど、最後にオルガマリーに伸ばした手が届いてよかった。今度こそって思ったけど、ずっと遠い光を見ながらひとりで戦っていたオルガマリーがこれでいいって終わり方をできたのならそれでよかったのかもしれない。
最後に、この物語が彼らの中から消えてしまったとしても、私が覚えてる。それにデイビットもね。
とても楽しい旅だった。ありがとう!

